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箱舟

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 彼女と初めて出会ったのは、まだ俺が学生の身分だった頃、有象無象の魑魅魍魎が漂うインターネットの海が、規制によって区画整理される前だった。
 当時はちょうどインターネットが一般に普及されはじめた頃であり、俺もその一般の一人だった。バイト代数ヶ月分のPCを使い、手探りでネットの海を泳ぐ。そして、これは誰しもが通る道だと思いたいが、案の定スパムを食らい途方に暮れていた。
 スパムウィルスによって容量を食いつぶされ、悲鳴のような音をあげるファンの音を聞きながら、必死にネットに救いを求めた。なにしろ当時住んでいたのは田舎も田舎で、周りに持ち込みで診てくれるPCショップなどなく、無理矢理にでもネットの中から回答を探すしかなかったのだ。
 そうやってようやくたどり着いたのは、一つのホームページだった。
 現実でもネットでもどこに行ってもデジタルがもてはやされていた当時において、明らかに異質な、和をモチーフにした壁紙を使ったそのページには、俺が食らったウィルスへの対処の仕方をはじめとした、インターネットトラブルへの対処法がまとめられていた。
 それまで俺はネットの中の情報に散々騙されていたので、その情報も信用に足るとは思っていなかったが、当時知識のなかった俺にはとにかく可能性のあるものに飛びつくしか方法はなかった。結局、そのホームページによって俺のPCは救われた。なお、内部に保存してあったあれやそれやは試している途中で大半が消滅した。
 当時の俺は今とは比べものにならないくらい純粋で感動屋だったので、ある程度の復旧が済んだタイミングでホームページの連絡フォームからかなり長めのお礼の文章を、なんと実名とメールアドレス付きで送った。ネットのなんたるかを知った今なら考えられない愚考ではあるが、そのおかげで彼女に出会えたのだからあながち無知も悪くないのかもしれない。
 数日後、俺のメールボックスに見知らぬアドレスからメールが届いた。ウィルスをスパムメールから食らった俺は慎重に中身を外から確かめた。件名は「忠告」。外からのぞける範囲での本文には若干説教じみてはいるものの、とりあえずいつものエロ系スパムメールではなさそうだと判断はできた。が、やはり数日前の悪夢が頭をよぎったため、そのときは開封せずそのまま放置した。
 それからさらに数日経ち昼間ぼーっと授業を受けているとき、ふと俺の頭の中に妙案がひらめいた。あのホームページに、もしかしたらスパムメールの見分け方などがあるかもしれない。
 しかし帰ってホームページを探してみても、そんなページは見あたらなかった。あるものだと高をくくっていたため、画面の前で腕を組みうーんと唸ってしまう。そして考えた結果、俺は連絡フォームに質問を投げ込んだ。もちろん以前と同じく、本名とアドレス付きで。
 翌日。寝ぼけまなこでメールボックスを確認すると、以前「忠告」をおくって来たアドレスからまたメールが届いてた。タイトルは「馬鹿者」。起きたばかりで判断能力が落ちていた俺は、ついそのメールを開いてしまう。クリックと同時にスピーカーからにぎやかな音楽が流れ、画面には小人がケラケラと笑い続ける小さなウインドウが表示された。気づいたときにはもう遅かった。しまった、また踏んだのか。
 しかし音楽はそれから一分もしないうちに演奏を終え、小人が小さくおじぎをするとウインドウも自動的に消えた。それによってメールの本文が目に入ってくる。
 「敬具」から始まるそれは慇懃無礼の固まりのような文章であり、はじめは挨拶もそこそこに、俺に対するあらんかぎりの罵倒がこれでもかとちりばめられていた。
 すべてに目を通しているとそのまま布団に戻ってしまいそうだったので、目を滑らせながらなんとか読み進めていく。スパムなのだから読まなくてもいいだろう、というのはまったくその通りなのだが、挨拶文の中に一つ気になることがあり、しぶしぶ読み進めるしかなかった。俺の本名が書いてあったのである。
 やがて罵倒は少しずつなりを潜め、もっともこれらは最後までなくなることはなかった、文章はようやく本題が入ってきた。曰く「今このメールを開いているということは、貴殿にスパムメールを見分けるすべなし。大人しく知人同士の連絡に留めるか、あるいはスパムを恐れず開きまくる他なし」。そこでようやく気がづいた。例のホームページの管理人からのメールだったのだ。ご丁寧に「おおかた先に送ったメールを読まずにスパムと決めつけたのだろう」とも書き添えてあった。悔しいがまったくもってその通りである。〆に添えられた署名には「Queen」とだけあった。
 読み終えてから、はじめのメールもおそるおそる開く。こちらにはウィルスなどはしかけられておらず、はじめに俺の感謝に対して「役に立てたようでなによりである」という短い返答があり、その後にはインターネットで個人情報を不用意にさらすことがいかに恐ろしく愚かな行いであるかがつらつらと書き連ねてあった。いまではすっかり常識となったネチケットという文化ではあるが、俺に限らずともこのころふれ始めた一般人には、未だ縁遠い文化だったのだ。
 後日、件のホームページに「ネチケット」の項目が新たに作られた。序文には「このページを読み、見知らぬ他人に本名でメールを送るなどという愚かな行いが少しでも減ることを祈る」という、どう考えても俺への当てつけであろう文章が添えられていた。